ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第120号----
2006/08/15 (火) 7:59
よさこい祭りとは高知が、いや日本が世界に誇るべきお祭りである。
言うならば「リオのカーニバル」のようなものである。
にわか知識でその歴史を説明すると、
もともとは高知県が徳島の阿波踊りに対抗する何かを作ろうと言う
村おこしイベントの一環であったと言う。
そして武政英策さんと言う地元の音楽家に楽曲を発注した。
それが「よさこい鳴子踊り」、いわゆる「よさこい節」である。
よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
よっちょれ よちょれ・よっちょれよ
高知の城下へ 来てみいや(ソレ)
じんばも ばんばも よう踊る よう踊る
鳴子両手に よう踊る よう踊る
まあ阿波踊りの
「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」
に比べるとインパクトが少ないが、この後に続く歌詞が実は絶品なのである。
土佐のー(ヨイヤサノ サノ サノ)
高知のはりまや橋で (ヨイヤサノ サノ サノ)
坊さん かんざし買うをみた(ソレ)
よさこい よさこい(ホイ ホイ)
これは実在の悲恋の物語をもとにして作られたと言う。
安政2年(1855)五台山竹林寺の脇坊、南の坊の
僧「純信」が、
高知城下の鋳掛け屋の娘「お馬」を好きになり、
はりまや橋のたもとの
小間物屋でかんざしを買い与えたのが、いつのまにか
「おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし
買いよった ヨサコイ ヨサコイ」
と歌で歌われ有名になってしまい、
いたたまれなくなった二人は駆け落ちしたが捕らえられ、
破戒と番所破りの罪で城下の三カ所でさらし者にされたのち、
純信は国外へ(現愛媛県川之江)、
お馬は仁淀川以西に追放されたと言う悲恋の物語である。
坊さんやって恋をする!
型破りな県民性の高知県人ならではの素敵な物語やと思わんか?
そしてそれに続く、
言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
潮(しお)吹く魚が 泳ぎよる
ヨサコイ ヨサコイ
と言うのも高知県人らしい。
太平洋はおまんく(お前んとこ)の池かい!
鯨はおまん(お前)が飼うちゅうがかえ!
と突っ込みたくなる素敵な歌詞である。
ともあれ曲は出来た。
後は踊りを作ればいいのじゃが、
思えば何かイベントを代表するようないい小道具はないものか・・・
「素手の阿波踊りに対抗してこっちは小道具使って踊ろう!」
と言うことで作られたのが「鳴子」
ワシの子供が高知の幼稚園に通っていて、
その運動会でも最後には鳴子を持って踊るのだから、
今では高知を代表する民族楽器なのであるが、
実は打楽器奏者から言わせてもらえば、この楽器の演奏性たるや最低である。
木の板の表裏に3枚の木切れがくっついているんだから、
振り上げようが振り落とそうがガチャガチャとウルサイ!
両面にあるんだから音の切れは最悪!!
さすがはスタッフが愛人とセックスしててタンスがカタカタ揺れるのを見て考えついた
と言われているだけのことはある・・・(これ本当!・・・らしい・・・)
さてこうして始まったよさこい祭り、
当初は「正調よさこい鳴子踊り」に合わせて決められた踊りを踊るだけの祭りだったのであるが、
70年代に入ってからそれが大きく様変わりしだした。
高知が誇る伝説のアマチュアバンド「トラベリンバンド」が、
トレーラーにバンドの機材を乗せ、
よさこい節とは似ても似つかない奇妙な音楽を演奏しながら、
踊り子達はそれに合わせて自由な振り付けで奇妙なな踊りを踊ったのである。
新しもの好きの高知の若者は狂喜乱舞し、
頭の固い大人達は顔をしかめ、後にこれが「ロック」だと初めて知った。
香川県で生まれ育ったワシも、高校の頃このトラベリンバンドの噂はよく聞いた。
後にも先にも高知の大ホールを満杯にするアマチュアバンドは彼らだけであろう。
伝説によると、
ベースの堀田さんのおばあさんはいわゆる
「土佐のはちきん(男も顔負けの高知女性の気質をこう言う)」で、
孫が学校もサボって音楽ばっかりやりゆうきと言うことで、
「おまん、何がやりたいがか?音楽やりたいがやったら音楽だけやり!
他のことは金輪際せんでえい!」
と、自分のところのみかん山のみかん小屋にバンド一同を放り込み、
実際バンドは朝から晩までバンドばっかりやりよったと言う話である。
かくして次の年からはトラックに演奏機材を積んでよさこいに参加するグループが続出し、
委員会はその対応に右往左往することとなる。
何せトラベリンバンドはツインドラム、ツインギターのバンドである。
音量とて半端じゃない!
バカでかいトレーラーにバカでかい音響機材を積み込んで、
トレーラーのステージは横からしか見えないと言うことで、
踊り子に向けてトレーラーを蛇行しながら運転するんだからキチガイ沙汰である。
当時はこんなキチガイが現れようなどと考えもしなかったので、
よさこい祭りの参加条件はただ「鳴子を持って踊る」だけじゃったが、
今では「地方車(じかたしゃと読む)の大きさは4トンまで」、
「音楽には必ずよさこい節の一節を入れること」など規則が出来ている。
さてよさこい祭りが路上ロックフェスティバルだった時代から数十年。
サンバやヒュージョン、演歌やトランスまでありとあらゆるジャンルまで
時代と共に流行は変わりゆき、
ここ最近は三味線や日本太鼓などを取り入れた和風モノが主流なようです。
今年も三味線の上妻宏光さんも地方車に乗ってました。
まあ去年は二井原実を送り込み、ヘビーメタルをシャウトしまくってた
なんてのは時代錯誤もはなはだしい邪道中の邪道でしょう。
そして今年はサンプラザ中野による「よさこいランナー」。
私も地方車に乗ってドラムを叩きました!!
ちなみにドラムの前にある発砲スチールの箱は
高知名物カツオのタタキを冷やしているわけではない。
もちろんビールである。
飲んでもすぐ汗で出て行ってしまう・・・
ベースを弾きまくる和佐田
熱唱する中野
踊る踊り子(我がチームの今年のコンセプトはチアガール)
狂喜乱舞する観客
そしてフィナーレは全員で踊り狂う
邪道万歳!である。
来年も参加したいもんだ。
ps.よさこいランナーの音源はここにUPしておきます。
これを聞きながら盛り上がりを想像してちょ。
ファンキー末吉