ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第139号----
2008/07/14 (月) 15:05
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重慶雑技団
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何の因果か重慶雑技団の音楽をやるハメになってしまった。
ますます「私は何をする人ぞ・・・」である。
7月19日から夏休みいっぱいは
オリンピックをボイコットして日本に帰ると決めてから、
よくある話でいろんなプロジェクトがこの時期に集中する。
アルバムを1枚レコーディングしながら、
43分が30集もあるテレビドラマの音楽を作り、
更に重慶雑技団の音楽を作りながら中国語の教材を執筆する・・・
「こりゃ絶対に終わらんぞ」
と1週間ずーっと頭を抱えて悩んでいた。
「悩んでる暇あったら仕事したら?」
と人に言われてハタと気がついた。
そやなあ・・・ほなやっぱ重慶雑技団から着手しよう・・・
何故か?
テレビドラマ音楽はミーティングで初対面の監督と会って、
10分話してから「仕事」として開始したが
(厳密には悩んでいただけなのでまだ着手してないが・・・)
重慶雑技団の副団長と演技指導の兄ちゃんとは地ビールを飲んで語り合い、
そして何より超絶技巧を繰り広げる子供たちとはもう半日一緒にいた。
もう「友達」である。
「雑技界に革命を起こしたい」と言う彼らのために、
そして何よりも、物心ついてから毎日毎日練習に明け暮れ、
そしてその人生をずーっとそうやって生きていくであろうこの子達のために、
やっぱ頑張って何かしてやらなあかんのちゃうん!
というわけで、張張(ZhangZhang)というデブのキーボードに、
「ドラマ音楽はお前がせえ!」
と言いつけて自分だけで重慶に来るはずじゃったが、
でもやっぱこっちも結構手間がかかるので
「これも手伝え!」
というわけで連れて来た。
先週に引き続き2度目の重慶雑技団である。
前回来た時に録画した彼らの演技に一応音楽はつけて来た。
一週間ぐらいは徹夜する覚悟だったが、
2日ぐらいで出来たのでラッキーである。
これも映画音楽たくさんやってるからデータが豊富だったおかげである。
考えてみればこれも映画音楽の一種だと思えばよい。
演技に音をつけて、
それがぴったりシンクロすれば見た人をもっと感動させられる。
映像だけでも、音楽だけでも
単独では決して与えられない感動が得られる総合芸術なのである。
音楽だけ送ってもどんな感じかわからないだろうから、
わざわざその映像を編集してそれに音楽をつけてネットで送りつけた。
「このように演技してね」というDEMOである。
雑技団は大喜びでその音楽に合わせて子供達に練習させ、
その映像をネットで送ってくる。
「ぜんぜん音楽に合うてないやん!!!」
リズム感もへったくれもない。
早い話、音楽を全然聞いていないのである。
せっかく動きに合わせて入れた音とはずれてるし、
クライマックスの大演技なんぞ何小節もずれてしまっている。
そう言えば数年前、
日本のオリンピック協会に呼ばれて「選手達のリズム指導」に行ったことがある。
シンクロナイズドスイミングやスケート等、
音楽に合わす4種目の競技の点数を上げるために、
やはりリズム感はリズムのプロに、
表情はプロの女優に教わるべきだ、
ということで呼ばれたのである。
ワシを呼んだ担当者は熱っぽく語る。
「だいたいワシらスポーツ関係の人間なんて脳みそが筋肉なんですから、
音楽なんてわかるわけがない!!
その選手に音楽を教えてる人間っつうのが
またこれがリズム感のかけらもない人間で、
それが一生懸命タンバリン持って選手に教えてるんですから、
選手のリズム感なんかが育つわけがない!!
これがスポーツ界の現実ですよ。
全世界のスポーツ界がそうやって選手を育ててるんですよ。
音楽はプロに教わりましょうよ、
そんなことを世界中のオリンピック委員会はいまだに気づいてないんですよ」
そうなのじゃ。
それが本当だとしたら、あの雑技団の人たち・・・
そりゃ雑技にかけてはもの凄いかも知れんが、
彼らが子供達に教えてる限り、
そりゃどれだけ練習しても演技が音楽に合うわけがない。
というわけでどうしてもというわけで重慶にやって来たのである。
子供達の練習に参加する。
先生達が演技に合わせて手拍子で指導をしている・・・
その手拍子がそもそもリズムとずれてるやん!!!
無理もない。
彼らは物心ついたときからずーっと雑技界にいる。
カラオケで歌を歌いに行くこともなければ、
悲しい時つらい時に音楽を聞いて救われるわけでもない。
どれだけ苦しくても全てを「練習」で乗り越えてゆくのである。
ある意味オリンピック選手よりもストイックであると言えよう。
また、雑技の世界には基本的に音楽という概念はない。
いや、純然たる雑技音楽と言えばは逆に民族楽団による生演奏である。
楽隊の方が演技を見ながらぴったりそれに合わせるのである。
まあ京劇なんかと一緒ですな。
つまり彼らは自分からリズムや音楽に合わせてやることなどないのである。
ところが現代音楽を全部生バンドでやるわけにはいかない。
かと言って音楽と合わなければ
適当に音楽かけて演技している現状の雑技界と同じである。
日本のオリンピック委員会がワシを呼んだように、
中国雑技界(大きく出たなあ)がワシを呼んだのは、
この永遠の命題を乗り越えるためなのである。
とりあえず作ったDEMOに合わせて一度演技してもらう。
小さな合わないところは無視して、
まずは構成をビシッと決めて、全てはそれからである。
「音楽的にはこの部分はこの長さが必要なので、
どっかひとつの動作を繰り返しでもしてこの部分を少し長くしてもらえませんか」
映画ならちょっと編集を変えればよい。
踊りなら振り付けをちょっと変えればよい。
しかし雑技団は首を横に振る。
そもそもが人間技を超えた超絶なのだから、
それを素人意見でちょこっと変えたりするのは難しいのである。
「ほな小節数をこちらで調整してみよう」
デブのキーボードと一緒にデータの切り貼りをする。
そしてもう一度それに合わせてやってもらうと、
「今度はまた長さが違うやん!!!」
そもそも片手で倒立して回転したりする高難度の演技というのは、
それが流れるようにゆっくりに見えてても非常に体力が要るのである。
息を整えたり、大技の後にバランスを整え直したり、
いろんな要素で技が遅れたりする。
「お前、子供達にもっとリズムに合わすように言え!」
デブのキーボードにそう命じるが、
「僕・・・そんなこと・・・よう言えません・・・」
そりゃそうじゃ。
ワシかて自分でよう言えんからお前に言わせようとしとるんやないかい!!!
そもそも子供達はその演技自体が人間技を超えた超絶なのだから、
更にそれを音楽に合わせろということ自体が無理なのではないか・・・
暗礁に乗り上げた。
そしてしばらく呆然と子供達の演技を見ながら
ふとちょっとした疑問が湧き出て来た。
「音楽にも合わせらんこの子達は、
どうしてこの子達同士の動作をぴったり合わせることが出来てるんや??・・・」
例えばシンクロナイズドスイミングなどでは、
実は水中でリーダーが合図を送ったり、
音楽とかリズムとかは関係ないもので演技を一体化させていると聞いた。
雑技もそうなんか?・・・
果たしてそうであった。
一番年上の男の子が演技をしながら声を出して、
それに全ての人が合わせて演技をしていたのだ。
「その声を録音せえ!!」
マイクを引っ張って来てその男の子のそばに置いて録音し、
その声をDEMOに入れこんで、それに合わせて練習し、
その声の部分に将来は別の音を入れて、
声ではなくその音に合わせるようにしてゆけば子供達への負担は相当低い。
録音した声をエディットして音楽的に正しい位置に前後させ、
もう一度それに合わせて演技してもらう。
「1、2、3、4」と数えている部分もなるだけリズムに合わせてエディットし、
ゆっくりになるところなどは将来的には二拍三連とかポリリズムのフレーズを入れて処理すればよい。
「大丈夫?やりにくくない?」
子供達に聞いてみる。
少々の前後やテンポの違いは問題ないようだ。
ところが、
「女の子が合図する声が入ってないのでそこが合わない」
女の子も合図してたんや・・・
その声も拾いだしてレベルを上げ、
やっとDEMOが完成した。
彼らは別にもう音楽に合わさなくてもよい。
その声に合わせればよいだけである。
そのうちにその声をどんどん小さくしてゆき、
いつの間にか他の音楽的な音に変わってゆくのじゃが、
そんなことは本人達は知らなくていい。
ワシがうまいことだまくらかしてやろう。
思えばもうすぐオリンピック。
あの時まかり間違えばワシはオリンピック強化メンバーの一人として、
同じ手法でオリンピックの選手のために働いてたかも知れない。
でも日の丸背負って国家プロジェクトをやるより、
なんかこの子達のために、
そして雑技に一生を捧げてるロックな人たちのために何かやってあげられるっつうのがやっぱええがな・・・
世界中にテレビ中継されるわけでもないし、
世間の誰に認められるわけでもないけど、
どうせこの子達は一生そうやって生きていくんや。
優勝ぐらいさせてやりたいがな。
ふと見ると練習場のすみにスローガンが掲げられていた。
「全国大会まであと112日
堅持こそが勝利だ!!
苦労のないところに銭はない!!
みんな頑張ろう!!」
中国人は直接的やなあ・・・
ファンキー末吉