ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第149号----
2009年10月14日17:13
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クリスタルキングの思い出
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平安高校での和佐田のイベントが終わって新幹線に飛び乗った。
爆風は2年振りに4人が集まったので、河合が
「俺たち年なんだからいつ4人が揃って写真撮ることも出来なくなるかわかんないから」
ということで記念撮影をしたが、帰りの新幹線の車両はあいにく別々。
ワシはゲスト出演してくれた田中雅之さん(通称マー坊さん)の隣だった。
実はクリスタルキングと言えばワシにとっては恩人である。
あれは30年近く前の話、爆風がまだ結成当初のアマチュアバンドの頃・・・。
バイトをやりながら家賃を払い、
自活してバンド活動をするのは今も昔も並大抵のことではない。
バンドがまだ芽も出ない頃は生活するのが最優先なのでバイトも一生懸命やるが、
だいたいにしてバンドがちょっとうまくいきそうだとバイトどころではなくなる。
爆風スランプの前身バンドであった爆風銃がヤマハのコンテストでグランプリをとり、
LMCという世界大会にも出演して賞を取り、
世界歌謡祭に日本代表として出演したりしながらも、
結局何ともならない状態が2年も続くと、
やはりプライオリティーの置き場がなくなるので生活がぐしゃぐしゃになる。
当時サラリーマンが40万借金をすると破産宣告した方がよいという時代、
ワシは消費者金融から70万の借金があった。
爆風スランプもSONYに認められ、
事務所と契約こそしたものの、給料は月3万円。
そんな状況で生活なんぞ出来るはずがないのだが、
じゃあバンドをやめて再びバイトで生活を立て直すわけにもいかないので
借金は利子を含んで雪だるま式に増えつつあった。
そんな状況を変えてくれたのがある1本の電話であった。
クリキンのドラマーが脱退し、新しい若いドラマーを探しているというので、
世界歌謡祭の時にレコーディングしたディレクターがワシを紹介してくれたのだ。
それからクリキンのサポートメンバーとなり、借金を1年足らずで全部返した。
音楽の仕事というのは朝から晩まで肉体労働して稼ぐよりはるかに割がいいのだ。
初めてのクリキンのレコーディング、
それは「北斗の拳」のテーマソングであった。
シングルのA面とB面それぞれ録音料として5万円ずつもらった。
肉体労働のバイトで10万稼ごうと思えば20日間かかる。
爆風スランプの給料だけでも3ヶ月以上。
それがほんの半日で稼いでしまえるのだ。
その他、ライブでは1本数万円、
そしてリハーサルではその半額がカウントされる。
(思えばその頃から音楽のギャラってそんなに上がってないなあ・・・)
1万円のアパートに住み、
酒代以外は使わないつつましい生活をしていたワシが
借金を完済するのにそう長くはかからないのもうなずける。
クリキンのメンバーもワシのことを弟のように可愛がってくれ、
周りの人達、例えばチャゲアスの飛鳥さんなんかはライブを見て、
ワシのドラムをとても評価してくれ、
「末ちゃんをメンバーに引き入れるんだ!そうすればクリキンは生まれ変われる」
と強く薦めてたと言う。
当然ながらメンバーからは正式メンバーとして加入してくれないかと誘われる。
「でも今バンドやってるから・・・」
・・・一体末吉はどんなバンドをやってるんだ・・・
クリキンを代表してキミハルさんが爆風のライブを見に来てくれた。
「ゆかいな坊さん」だの「ふんだりけったり」だの、
そんな面白くも下らない迷曲をやりながら、
「ステージで脱糞と出産以外は全てやった」
と後に豪語することとなる「笑えるパンクバンド」であった爆風である。
当然ながら客も全然いない。
ライブが終わって大笑いしたキミハルさん、
その後クリキンのメンバーには真顔でこう言ったと言う。
「末ちゃんには将来がある。
今クリキンに来てもらうのも可哀想だ」
そして爆風スランプがブレイクし、
どうしても両方のスケジュールをやりくり出来なくなってワシはクリキンを後にした。
メンバー全員その門出を喜んでくれた。
メシが食えないのでいつも自宅に泊めてくれたキミハルさん。
ヤマハの契約アーティストなのにパール本社まで一緒に行ってくれて
ワシをパールのモニターにしてくれる大きな力になってくれた野本さん、
爆風がブレイクした後も、
芸能界のいろんなことを教えてくれてワシを戒めてくれたムッシュ・・・
そのムッシュが今やマー坊さんを訴えた・・・
ファンのみならず、ワシも非常に悲しい気持ちである。
「末ちゃんなぁ・・・今日爆風見てなぁ・・・羨ましかった・・・」
マー坊さんが隣の席でぽろっと漏らす。
聞けば今年でクリキンも30周年。
でもメンバー同士が裁判で争っている状態で30周年もへったくれもない。
米米クラブやユニコーンなどの大々的な復活劇を遠目に見たり、
筋肉少女帯のサポードとしてその内部から見たり感じたり、
ACEさんや石川くんなどが店に出てくれていろいろ話を聞いたり、
よそのバンドに比べて爆風はいろいろあってそんな風に活動することは出来ないが、
なーに、4人が生きていればまたいつでも集まることが出来る。
なんと幸せなことではないか。
新幹線を降りる時にワシはマー坊さんに言った。
「なーに、キミハルさんや野本さんやみんなが生きてる限り、
またいつかみんなで集まることが出来ますよ。
こんな事もいつか笑い話になる日が絶対来ますから。
だからみなさん、身体に気をつけて長生きしましょう」
バンドとはかくも大変で・・・そして素晴らしいものである。
ファンキー末吉