ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第16号----

2000/04/28 21:20

CDのサンプル担いでタイはバンコクまで来てますわ。
これが結構かさばるのよ・・・・

今回の仕事がTSUTAYA-THAILANDの仕事なので、
「TSUTAYAさん、タイにある60店舗のTSUTAYAでなんとかXYZのCD売って下さいな・・・」
とか、
「いやー、どっかで会ったと思えば毎年福岡のアジアイベントで会う
なに人かようわからんオッサンやないですか。
え? レコードのディストリビューターやったんでっかいな。ほなこのCD夕イで売って<らはいな」
等、ほんま「わしゃ何をやる人やねん!」状態ですわ。

ここで南アジアのライセンスを決めて、
明日には香港飛んで北アジアのライセンスとLAライヴのブッキングですわ。
わしゃほんまに何をやる人なんやろう・・・
(それにしてもLAのブッキングがなんで香港経由なんやろ・・・)

さて今日のお題、「タイ・プロジェクト」

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マレーシアのとある日本資本のレコード会社の社長と友達である。
商社マン上がりのM氏は、業界によくある音楽畑の人間ではなく、
会社の売上が悪い時はカバンやGショックの並行輸入でも何でもして売上を稼ぐ。

エスキモーに最初に冷蔵庫を売りつけたのは日本の商社マンだ
(天然の冷蔵庫の中で暮らす彼らに冷蔵庫など誰も思いつきやしなかったのを
「この箱を使えば肉が凍らないよ」とセールスし、バカ売れしたと言う話)
と世界のビジネスマンの間にまことしやかに伝えられているが、
俺は内心これはきっとM氏ではないかと思っている。

そのM氏、レコード会社の社長でありながら、
アジア中のいろんな国を行商にうろついている。
オルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーが、
「ラテン諸国行ったらどの国にも和佐田はんがおんねん。
ある国ではタクシーの運転手してたり、ある国ではバーで働いてたり」
と、和佐田のラテン顔を称してそう言ったりするが、
ことアジアでは「どの国でM氏がいた」と言うと、
それはきっとその国でその日、本当にM氏がいたのである。

そんなM氏、ある日のことタイの街中を歩いていた。
「やけにTSUTAYAの看板をたくさん見るなあ・・・」
何の面識もなくTSUTAYAに飛び込んで、
TSUTAYA THAILANDの社長に売り込みを開始する。
「わが社のこのビデオ、お宅で売ったら儲かりまっせ」
(ちなみにM氏は関西人ではないので関西弁は喋らないが便宜上)
と言うのを受けてTSUTAYA THAILANDの社長も試しに仕入れて見た。
「こんな、日本のアイドルが水着になって
”こんにちわ、○○でーす”
とか言うとるオムニバスビデオがタイで売れるんやろか・・・」
(ちなみに社長は淡路島の人間なので関西弁)
と思ってたら、
タイのおりからの日本ブームの煽りを受けて、
タイ語の字幕もない、ヌードも一切ないそのビデオがバカ売れした。

それを受けてM氏、
今度はTSUTAYAシンデレラ2000と言うオーディションを行って、
プロダクション業務に進出しようとしているTSUTAYA THAILANDの社長に今度は、
「プロデューサーならファンキーしかおりまへんで」
と推薦。
それを受けて、宮島氏からMailが来る。

「本場のタイ料理でもたらふく食いに来まへんか」

「シンハー・ビールもつけてや」

でこうして俺は今タイにいるわけであるが、
よく考えたら、話はそんなに簡単なんじゃろか・・・


ある日突然、事務所にとある伝言があった。
一昨年までお世話になってた大手プロダクションA社の幹部からだと言う。
折り返し電話が欲しいと言うことだった。
「何の話やろ、また迷惑でもかけたかなあ・・・」
恐る恐るその幹部に電話をしたら突然、
「末吉ぃ!今、タイで何かやろうとしてるだろ!」
「ひえー・・・何でそれを・・・」
つい先日引き受けたばかりのプロジェクトを何故に・・・
「SUTAYA THAILANDの社長さんと言うのはな、
元日本のTSUTAYAでな、
わが社と一緒に立ち上げたアミューズメントの会社の社長を俺と一緒にしてた人だ。
それをやめて家族と共に今はタイに住んでいる。
今、日本に帰って来ててさっきまで一緒だった。
俺とはほんとに長い付き合いなんで、
末吉もくれぐれもよろしくな!」
ははあ、心してかからせて頂きます・・・・

さて、このTSUTAYA THAILANDの社長、
当時数軒しかなかったタイのTSUTAYAの権利をTSUTAYAから買って、
1年半でTSUTAYAをタイで60店舗にしたと言うつわものである。
初対面の時に俺にこう言った。
「いやー、プロダクション業務とかやったこともおまへんのでな、
A社の会長さんとかいろんな人に相談に行きましたんや。
そこでファンキーさんの名前を出したら、
全ての人が”彼なら出来る。いや彼にしか出来ない”言うんですわ」
ひえー・・・
飛ぶ鳥後を濁さずと言うが、
後を濁しっぱなしで彼方に飛んで行ったアホに向かってなんたる過分なお言葉・・・

と言うわけで、その恩に報いるべく、
数少ないストックの中から一番大事に取っておいた楽曲を提出する。
やりとりは全部E-mailである。
データはMIDIデータとMP3である。
世界中どこで住んでても仕事が出来るように、
俺は全ての仕事をE-mailでやりとりするのだ。
こうして立ち上がったタイ・プロジェクトは、
コーディネーターがマレーシア、
製作責任者がシンガポール、
そしてプロデューサーと製作が日本、
舞台はタイと言う4カ国を股にかけたプロジェクトである。
しかし幸いにも担当者は全て日本人なので、
日本語のMailでいいのは助かる。
前回Wingの著作権をめぐって、
香港側は英語、こっちは中国語でのやりとりっつうのには疲れ果てた・・・


さて、タイに着いた。
M氏とは実際非常に久しぶりなのだが、
ずーっとMailのやりとりをしてるので全然そんな感じがしない。
ホテルにチェックインしたら、何と一流ホテルのスウィートルームである。
「M氏ぃー。予算もないんですからもっとチープなホテルでいいんですよぉ」
「まあまあ、いつも利用してるホテルなんで私が取れば安いんですよ」
値段を聞いてみれば、都内のビジネスホテル並に安い。
この人っていったい・・・

さてTSUTAYA THAILANDに今までMailでしかやりとりをしてなかった人間達が一同に会する。
スタッフ一同で少々の認識の違い等を整理していざレコーディング開始。
アジアの仕事では現場処理が当たり前なので、
来て見たら決定曲が違っててオケを作って来てなかったり、
翌日プレス・コンフェレンスで口パクで歌うので1日で完成させなきゃなんなかったり、
そんなことはもうお手のもん。
北京レコーディングのように、
気が付いたらエンジニアを大声で探しまくる必要がないだけ楽である。

一番の問題は言葉。
「トムヤムクン」しかタイ語を知らない俺は、
何を聞かれても「トムヤムクン」と答えるしかない。
「日本語とタイ語か、中国語とタイ語かの通訳を必ずつけて下さいね!」
これが俺が唯一TSUTAYA THAILANDに要求した事柄である。
「それなら大丈夫ですわ。うちには日本語喋れるタイのスタッフもおりますから」
と言われて紹介されたのがNochと言う若い女の子。
中国系と言うので北京語で話してみたら立派に通じる。
家族とは潮州語で話すらしいが、
仕事では英語だから、
タイ語、日本語、英語、北京語、潮州語を操る才女だと言うことだ。
華僑って凄いよなあ・・・

さてバンコクでナンバーワンのスタジオにやって来たら、
エンジニアがカナダ人だった。
「君はタイ語喋れるの?彼女作るのが一番だよ」
と言うM氏に質問に対して
(ちなみにM氏は昔ポーランドに住んでいたので通訳レベルのポーランド語も喋るが、
それも彼女がらみだったと言う話である)
「実はもう結婚してるんだ」
と言うWilliamが可愛い。
どこにでもいるんだなあ、彼みたいな奴。

そう言えばM氏の招聘でマレーシアのフェスティバルに出演した時、
世界的に有名なパーカッショニスト、スティーブ・ソートンと共演したが、
彼もマレーシア人と結婚してクアラルンプールで住んでいた。
俺だけか、まだ日本でなんか住んでるの・・・

さて、俺は英語は苦手である。
喋ろうと思うとつい中国語が口から出てしまうが、
Nochはそんな中国語も通訳出来るので便利である。
Williamは俺の中国語交じりのヘタな英語を苦労しながら理解してレコーディングする。
Nochは日本語から英語へ、そして中国語から英語へと、まことに器用に訳してゆく。
シンデレラGirl達に対しては英語で言っても通じないものはNochがタイ語に訳してくれる。
ただ、今度はNochがいなくなると全てが止まるのである・・・

まずオケがないを突貫で作ってしまわなければならない。
持ち歩いているVAIOにインストールしている簡単なシーケンサーソフトで作成する。
要は歌のデータだけ録って日本に持って帰ってオケを差し替えればよいのである。
でもこれじゃあ歌録りはいいとしても明日のプレス・コンフェレンスが心配である。
詞のプロデューサー、Ann女史の到着が遅れているのをいいことに、
常にセッティングしているドラムセットで
(いちいちドラムを持ち込まなければならないなんて日本ぐらいよ)
ちょちょいと叩き直す。

打ち込みから生に差し替える仕事は、
最近では「太陽にほえろスペシャル」のテーマソングでやった。
その時もドンカマなどなかった。
戦いのシーンでのドラムソロの曲は辛かったなあ・・・
打ち込みのドラムソロ聞きながら同時にドラムソロ叩くんだから。
今回はリズム聞きながらリズム叩くんだから楽なもんである。

俺は「一回しか叩かんでぇ」ドラマーで、
音決め等が終わったら集中してTake1で決めることを信条としている。
要は集中力なのである。
よし録るぞ!
しかしWilliamが俺に何か一言言ってるがようわからん。
「え?何言うてんの?
コード?
ドラム叩くのにコードなんて関係ないやんか・・・」
おーい!Noch!訳してくれー・・・
ドラムをほっぽり出してNochを探しに行く。
集中も何もあったもんじゃない。
Nochがやって来て訳してくれる。
「録音しますか? だそうですよ」
Record?
この一言さえ俺は聞き取れんかったんかい・・・

ああ、やっぱ英語勉強せにゃなあ・・・

ファンキー末吉


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