ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第36号----
2001/01/19 04:00
いやータイはよかった。
何と言っても暑い!
冬だと言うのに十分プールで泳げる。
帰国して2日目の今日この頃、
相変わらず留守のために溜まりに溜まった仕事をこなして一息ついたら、
もう数時間後にはまた飛行機に乗って、
今度は極寒の地、北京。
マイナス18度と言うから気がひける。
タイにも中国人はいっぱいいて、
不自由な英語で苦労してた時、ひょんなことから中華系に出会って助かったりする。
しかし同じ民族でもこんなに違うところで住んでいるのね・・・
うちの嫁は日本で住んでる中国人だが、
来日して9年目にしてやっと国籍を変えようと言うことになった。
いわゆる帰化して日本国籍となろうと言うのである。
「だって中国のパスポート不便だもーん」
ぐらいなノリである。
韓国人等に言わせると帰化と言うのは民族の誇りを捨てた行為であるとされ、
いろいろ大きな議論に発展したりするのだが、
俺が見る限りどうも中国人にとっては国籍などどうでもいいことらしい。
今回のタイ行きは帰化申請中と言うことで嫁は海外には出れず、
結局、動脈瘤によるクモ膜下出血による瀕死の状態から奇跡的に助かった
リハビリ中の岡崎はんと一緒であった。
と言っても仕事で連れてゆくほどの復帰にはまだほど遠く、
「入院中にご心配をかけたみなさんでメシでも食ってください」
と彼のご両親から渡された数万円の現金を
俺ら「みなさん」が「ほなそうでっか」とありがたくもらうわけにもいかず、
ほなこの金でタイにでも行こや、
みんなはご家族に会ったら「ご馳走さま」言うとくんやで!
とタイ行きの切符に化けた。
数ヶ月前は「絶対に助からん!」と言われてた岡崎はんも、
今では酒飲めるぐらいまで復帰し、
ただ、左眼にちょっと麻痺が残っているのと、
基本的な体力がまだ復帰してないぐらいで、
ギターも弾けるし、無理しない程度の海外旅行も大丈夫である。
予算には限りがあるので、
世に現存する一番安いパックツアーを申し込んで、
ツインルームにふたりで投宿する。
基本的にはまだ病人の範疇なので、
「一日ひとつにしようや。どこに行きたい?何したい?」
ってな海外旅行である。
この男、ほっといたら基本的に英語等一切使わず、
主体性のないこと甚だしい。
北京ライブに行っても「姉ちゃん、お勘定、いくら?」やし、
五星旗のNYレコーディングに行ってファーストフードのステーキ屋に並んでも、
前の黒人が頼む「Combo5
Please」っつうのを見て、
「姉ちゃん、ワイも5番ちょーだい!5番ね、5!」
ってな男である。
食事は他の人が頼む物と同じ物を頼み、
ステーキの焼き方から食後のコーヒーまで同じである。
俺はタイプロジェクトのコンベンションライブのために来ているので
基本的にはいつも岡崎はんをほったらかして先に出かける。
だいたい格安のパックツアーと言うのはホテルと飛行機から格安になり、
ホテルなど繁華街から程遠い不便なところになってしまう。
電話やFax等でやりとりしながら自力で会場まで来させようとするのだが、
まあこんな男なんで仕方がないと
リハから本番の間にタクシーでピックアップに行ったりする。
毎日それも大変なので、
繁華街に一番近いホテルのホテルカードを入手して、
「タクシーに乗ってこれ見せたら何も言わんでも連れて来てくれるから」
と準備万端にしていても、携帯が鳴って
「地図がどっか行ってもうたにゃわ・・・」
と来る。
しゃーないからまた往復1時間以上かけてタクシーでピックアップに行く。
「老人介護みたいなもんやなあ・・・」
とは自他共に認める俺の感想である。
さて極寒の地に数時間後には降り立つ俺が
常夏のタイを懐かしんでお送りする今日のお題。
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M氏がアジアに戻ってきた・・・
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さて、今回のマスコミ・コンベンション。
M国のPレコード会社の社長だったM氏も招待されていた。
東南アジアに行けばどの国にも彼がいて、
今は惜しまれつつ日本に帰ってしまったが、
ある時は音楽ビジネスを、
またある時はカバンの輸入、
そしてある時はGショックの並行輸入をしていた。
ある日など成田空港でばったり遭遇し、
「何やってんですか?」
と聞いたら、何と当時入手困難だったワールドカップのチケットを手に握り締めて
「いやー、人に頼まれまして香港経由でやっと入手したんですよ」
と頭を掻いていた。
この人はきっと数人分身がいて、
アジア各国でいろんなことを同時に分身たちが動いているに違いない。
さて、そんなM氏が立ち上げてくれたこのタイプロジェクトだが、
その後こうして正式にレコードがリリースされ、
このコンベンションライブでは
「一般招待客は別にして、取材人が80人来たらまあ大成功でしょう」
と言うことで100枚しか用意してなかった取材人用のパンフレットも足りなくなるほどの盛況ぶり。
その結果もあってチャートにも初登場17位と言う上々な滑り出しであった。
基本的にレコード会社の社長と言うのは音楽畑出身な人が多いが、
ことM氏は商社マン出身と言うことで発想もどこか全然違う。
「ファンキーさん、せっかくタイに行くんですから、
今度のオリジナルメンバーで再結成したラウドネスの東南アジアでのライセンス、
これ今回タイで決めて来ましょうよ。XYZのアジア進出にも有効でしょ」
と来る。
まあXYZの東南アジアライセンスも彼がアテンドしてるので仕事と言えば仕事なのだが、
今やM国のP社の社長ではない日本に帰っている彼には基本的に全然メリットはない。
まあそう言う金にもならない布石が商売なんだと言えばそれまでだが、
今回はそのルーツを垣間見るような出来事に遭遇した。
爆風スランプが所属していたSONYレコードはタイにもあり、
そこの社長のピーターガンと言う人間は知る人ぞ知るアグレッシブな人間である。
爆風でも2度ほど彼にお世話になったことがある。
SONYのタイタニックのCDは世界的なベストセラーであるが、
タイSONYだけで20万枚と他国を圧倒している。
裏を返せば、これは単価の安いタイでの製品を、
彼は平気な顔をして他国に流していると言うことでもある。
SONYと言う会社は
「どこが打ってもグループの売上やないかい」
と言う考え方を持っているのでお咎めなしだが、
他社だとこれは大問題だとM氏は言う。
そう言えば北京にはSONY(ハードの方)の営業所があるが、
合弁法の厳しいこの国において、
この営業所は外貨を持ち帰ってはご法度なので、
ひたすら自社製品のメンテ等ケアーをしていると言う。
またここでおかしいことが、
関税が200%とか300%のこの国で、
SONYの製品が日本と同じ値段で売られていることである。
これは北京Jazz屋発足の時期に
カクテルの原料となる酒の入手方法を調べた時の情報であるが、
基本的に官僚等コネのある人間が、
香港経由で大々的に密輸している場合が多いと言う話である。
そこで北京の現地のSONYの人曰く、
「どこからどのようなルートで入ってきているのかは別として、
どうであれうちの製品がここで売られているのは事実なんですから、
これをメンテしてお客さんにちゃんと使ってもらえることが総合的な私達の利益です」
と言うのである。
この考え方がM氏と非常に似ていると言うか、
杓子定規な他の日本企業とは大きく違うところである。
さてそんなM氏とピーターガンが遭遇した。
「いやー、電話では何度もやりとりしたけど会うのは初めてだねえ」
から始まって、お互い矢のような英語のやりとりである。
俺はと言えば最初に
「いつぞやはお世話になりました。爆風のドラムです。今タイ人のプロデュースやってます」
と挨拶し、
「いやー、久しぶり!覚えてるよ。あの頃は一生懸命プロモーションしたけど残念だったねえ」
と笑顔で迎えられた以後はずーっと蚊帳の外である。
ふたりの英語のレベルは俺には表面しかわからないが、
M氏は日本から頼まれた某有名バンドの映像原盤を小脇に抱え、
あげくの果てにそのバンドのキャラクターグッズのライセンスの権利まで決めている。
後で聞いた話だが、
「Mさん、そのキャラクターの話まで依頼されてたんですねえ」
と聞いたら、
「いや、全然!ありゃブラフですよ。
だって日本側にとったって金銭になるし、何より先方が一番喜ぶ話じゃないですか。
それを最初にぶちかましておかないと商談は成り立ちませんよ」
と来る。
こんなふたりのやりとりをしばしぼーっと聞いてた俺だが、
とにもかくにも生き生きと話すふたりを見て、
俺らミュージシャンがステージでしか生きれないのと同じだと感じていた。
こんな話をしてる時が、彼らビジネスマンにとって一番至福の時間であって、
これは金のためではなく、
最終的には金にはなるのであるが、とにかくこの瞬間のために彼らは生きているのである。
俺らミュージシャンが、
「俺はプロやから金は取るでぇ」
と言いながら実は音楽やってる時には金のためにはやってないのと似ている。
事実この話は決まってもM氏には1銭も落ちない。
金にもならないのに日々Jamセッションやってる俺のようなもんである。
それにしても話も早いが英語も速い。
俺にはもう表面を聞き取るだけで精一杯である。
ぼーっとして聞いていたらいきなりピーターガンがこっちを向いた。
「んで?なんでタイ人のプロデュースやってんの?その話を聞かせてもらおうか」
と来る。
このペースで英語など喋れるわけもない俺が困るより先に、
M氏がすかさず俺の隣に座りなおし、
「いやー、ファンキーと言えばねえ・・・」
から始まって一連のなれ初めから現状、そしていかに俺がお買い得かを説明する。
またピーターガンとてそんな人間である。
「そうか、んで?値段はいくらだ?」
「ね、値段ですか?・・・」
音も聞かずにいきなりまず値段なのであるが、
タイでやってる仕事のやり方をとりあえず日本語で説明してM氏に訳してもらう。
日本人がアジアで音楽活動がやりにくい原因のひとつに、
そのシステムが国によって全然違うと言うところがある。
日本人はとかく自分のシステムを壊すことが怖いと思うらしく、
自分のやり方で何とか相手に合わせてもらうように無意識のうちにしているらしい。
俺はと言えばどちらかと言うと中国的と言うか、
逆に自分がイヤと言うほど中国人からやられているので、それを人にやっているところがある。
基本的に楽曲は買い取りでも印税でもなく、アドバンスをもらった上での印税制。
中国人がよく使う、権利も持ちつつ現金も手に入れる方法である。
こんな日本人はきっといないだろう。
またこのタイプロジェクトの場合、支払いもアドバンスはキャッシュで日本円だが、
印税は現地のお金でもらうことにしている。
何故かと言うと為替レートが高くてもったいないからである。
日本円で振り込んでもらったとしたら20%の為替手数料がかかる。
例えば100万円の入金があったとすると、
手数料で20万円取られてしまうのである。
20万あればその国まで往復できんか?
おまけに美味いもん食って、美味い酒飲んで、
ついでに現地でまた新しいチャンスに出会えるやないの。
そんなこんなでタイでは自分の口座を開設している。
ピーターガンがどんな方式を提示しようと俺は全て受け入れられるのである。
これだと話が早い。
あとは「やるかやらんか」だけである。
「よし、じゃあ日本円で値段を決めたらレートの変動でめんどくさくなるのでバーツで決めよう。
1曲○○バーツ。あと印税は○○パーセント。これでいいね!」
ピーターガンのまくし立てに目を白黒させてるうちにM氏が話をまとめる。
「じゃあ月曜日の朝までに資料楽曲を届けさせます。
いやー、今日はお会いできてほんとによかった・・・」
ぼーっとしている俺を尻目にふたりは興奮しながら英語でシメに入っていた。
俺はそのままホテルに帰り、
リリースしたばかりのタイプロジェクトのCDをパソコンに取り込み、
ストックしてある楽曲のMIDIやMP3データを変換してCD−Rに焼き付ける。
この作業、楽に二日がかりである。
その間、岡崎はんは傍らでぼーっとしている。
老人介護の俺としては一応気を使ってみる
「腹減った?何か買うて来てビールでも飲むか?」
傍ら仕事をしながらタイ料理を頬張りながらビールを飲む。
焼き付けの待ち時間にはJazzがかかり、いつものようにアホな話に花が咲く。
「これって新大久保のあんたの家でいつもやってることと変わらんなあ」
「ほんまやなあ、どこに行ってもおんなしやなあ・・・よう言われるわぁ」
まあ料理が本場になったんと、酒の値段が数分の一になったんと、
そんぐらいやなあ・・・
かくして俺のタイでの休日はこれでつぶれた・・・
書かねばならん原稿も書かんかった・・・
ホームページの更新もまたせんかった・・・
曲など1曲も作らんかった・・・
タイプロジェクト、ひとつめが好調に滑り出し、
聞けばこちらは年に6枚リリースしなければならないと言う。
そしてSONYのプロジェクトも始まったりしたらマジでこっちに住んだ方がええでぇ。
俺が今、世界一物価の高い東京で住んでる理由って何なの?
M氏が交渉ごとの時に水を得た魚になるように、
俺らミュージシャンはライブの時がそうである。
ツアーツアーの毎日で、家になど月に何度帰るだろう。
ほな家ってなんで必要やねん!
気が付けばいつの頃からか家には俺の部屋はない。
基本的に俺の物もほとんどない。
必要な物はすべてパソコンに入っていて、
別に人が咎めなければ一年中同じ服を着ていても気にしない人間である。
「ちなみにタイって家賃いくらぐらいなの?」
現地スタッフに聞いてみた。
「そうですねえ。一等地でも日本円で5〜6万出せば結構なとこ住めますよ。
メードさんも月1〜2万円ぐらいで雇えますし」
俺が家族の生活のために日本に落としてる金っていったいいくらや!
タイでの生活費。
岡崎はんと飲むビール、1缶70円。
タイカレーや惣菜1食分60円。
疲れた時のフットマッサージ1時間700円。
タイ式全身マッサージ2時間900円。
庶民のバーに飲みに言って、結構酔っ払っても1000円。
シメのラーメンは60円。
同じく新大久保での俺らの生活。
岡崎はんと飲むビール、1缶200円。
100円ショップで買ってきたお惣菜でも1/3食分ぐらいで100円。
ほなサウナでも行こか、で1500円。
マッサージ30分して3500円。
和民や白木屋でヘベレゲになって2000円。
シメのラーメンで650円。
この国って一体どうなってんの?
嫁にさりげなく持ちかけて見る。
もしそうなれば俺は日本に家はいらん。
どうせツアーで渡り歩いてるやろうし、
うーむ・・・ピーターガン次第やなあ・・・
「何言ってんですか、末吉さん。
住むんだったら北京にして下さいよ。部屋用意しますよ。
カクテルバー「Jazz-ya」、日本料理屋「飯屋」、Sushiバー「Sushi屋」、焼肉店「牛屋」
に続いてライブハウスでもやりましょうよ」
北京の安田がそう言って電話してくる。
でも北京は寒いからなあ・・・
あ、もうぼちぼち荷造りをせねば・・・
ほな。
ファンキー末吉