ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第44号----
2001/06/16 20:50
北京に来ている。
いや、帰って来ていると言うべきか・・・実は全然実感がない。
まあ当分は行ったり来たりだし・・・
今月で東京は宿無しとなる俺だが、北京にとて別に宿があるわけではない。
Jazz屋の安田や友人宅を転々としていればそれでよい。
子供たちがいる嫁の実家は北京市内から車で1時間と遠く、
そこに帰るには車をチャーターして、ちょっとした小旅行なのである。
いやしかし安いと思ってた北京の物価も、年ごと日ごとに高くなって来ている。
医療費は無料のはずの共産主義は崩壊し、
中国的特色の社会主義では全額が本人負担である。
ヘタしたら日本よりはるかに高い。
小学校の入学金が3万元(約50万円)と言うからキチガイ沙汰である。
普通の人民はどうやって生活しているのだろう・・・
またうちの子供の国籍は日本なので、外国人はよけいに高いのね・・・
ちなみに嫁の実家、燕山と言う街では唯一の外国人がうちの子供である。
嫁も国籍が日本となったので、いきなりここでは住みにくい。
外国人には何もかも高い国なのよ、ここは・・・
そんな外国人や、
日本人の人口より恐らく多いであろう日本人より金持ちの人達相手
に商売しているのがここJazz-ya。
北京No.1のバーに選ばれ、日本料理屋の飯屋、寿司バーのSushi-ya、
そして焼肉屋の肉屋、とどんどん増殖している。
値段も日本とほぼ変わらないのに連日大繁盛である。
これを支えているのが安い労働力。
田舎から出てきた従業員の給料では
俺のように連日ここで酔いつぶれることは夢また夢である。
白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫がいい猫だ!
豊かになれる者から先に豊かになりなさい!
と言うこの国は、中国的特色の社会主義と言う名の資本主義。
日本は資本主義と言う名の理想の共産主義。
1億総中流など、世の思想家達が夢に見た理想の共産主義国家なのである。
でもなんで俺はまたこんな街でいるんだろう・・・
昨日、CDカフェと言う小さなJazzクラブで、黒豹のライブがあった。
精神汚染音楽だった当時の北京で、
アンダーグランドな活動を余儀なくされていた彼らも、
今はスタジアムを満パイにし、大金持ちになって太って、
「自分の商売が忙しくてバンドなんてやってらんない」
と言う状況である。
ドラムの趙明義は株を買ったか何かで今やCDカフェのオーナーである。
外国人が唯一Jazzのライブが見られたこの店も、
中央電視台のイベントやらロックバンドやら、
無節操にオーナーがブッキングするもんだからとんと客離れと言う噂である。
「おい、たまには集まって音でも出そうぜ!」
・・・てなことでこの日はメンバーが気楽に集まったのか・・・
いや「中国人はあんたと違うんだから」と言う嫁の声が聞こえそうである、
生力ビールの思いっきりのタイアップ・・・金の匂いがぷんぷん・・・
何から何まで生力ビールの店内には客がまばら・・・
オープニングアクトの若いバンドの演奏が始まる。
確実に数年前の北京のバンドよりはるかに上手い!
サウンドも完成されていてケチのつけどころがない。
「みんな上手くなったよなあ・・・」
何やらつい感心してしまう。
俺が初めて地下クラブで黒豹を見た時、
奴らはお世辞にも上手いとは言えなかった。
しかし俺はそれを見て、今ここにいる。
あの日を境に俺はここ北京にいつも・・・いる・・・
オープニングアクトの演奏が終わり、黒豹が始まる頃には客席はほぼ満パイ。
しかしあの日とどこかが違う。
あの日、パンクスに連れて行かれたあの地下クラブにはもっと・・・
危険な空気・・・ヤバイぞ、ここは・・・と言うのがあった。
ここはすこぶる健全である。外の世界と変わらないのである。
演奏が始まる。
彼らの曲は老歌と新歌とに大きく分けられる。
老歌は昔のヒット曲。新歌はメンバーチェンジをし、今の黒豹のナンバーである。
ステージは老歌から始まった。
「這是新的中国!(これが新しい中国かい!)」
こんな歌詞を歌詞カードから見つけて鳥肌が立った彼らの1枚目の曲。
今では彼らこそがそんな「この新しい中国」の代名詞である。
ひとり客席で俺は当時、初めて彼らを見た時にトリップしていた。
ここには秦勇ではなくドウ・ウェイがいて、そしてあそこにはルアン・シューがいた。
リー・トンの髪の毛も当時の中国では街にはまず見かけなかった長髪だった。
お世辞にも上手いとは言えないその演奏・・・
感心はしないが、しこたま感動した・・・
そんな当時の彼らを、今の彼らを通して見て感動している・・・
今の黒豹は言ってみれば
ロジャー・ウォータースの抜けた後のピンクフロイドのようなもんである。
それを見に来てノスタルジーで感激している俺は、
再結成ラウドネスを見て涙している最前列のファンと同じか・・・
でもラウドネスに青春を捧げて婚期を逃したファンはいても、
俺ほど人生を踏み外した人間はいるまい・・・
3月まででやめようと思ってた二井原も、
最前列で涙流してるファンを見てもう半年続けようと思ったと言うが、
最前列で40過ぎの日本人ドラマーに涙しながら見られてても
そりゃ黒豹も演奏しづらいじゃろ・・・
老歌なんぞ演られた日にゃあ、俺はすぐにあの場にトリップしてしまう。
「この曲もあの日に聞いた。この曲もあの日に聞いた。
そしてこの曲はあの日に叩いたじゃないか・・・」
11年前の思い出が走馬灯のように思い起こされる。
老歌はもちろんのこと新歌も懐かしい。
唐朝のベーシスト、ジャン・ジュィーに宛てた追悼曲・・・
友達が死ぬなんて一生のうちに何回あるだろう。
この30代で俺はふたりのミュージシャンの友人を亡くしている。
思えば俺の30代はかなりドラマチックである・・・
俺の30代、俺の中国はヤツらによって始まって、
そして今もヤツらと一緒に・・・いる・・・
黒豹がどんなに肥え太って、商業主義の権化となって、
どんな無様な姿を晒そうとも、俺はいつもヤツらと一緒に・・・いる・・・
俺は最後までヤツらと一緒にいて、
黒豹の、いや俺の人生を変えた中国ロックの最後をこの目で見届けたい。
そんなことを考えながら、今から来週日本に帰るチケットのリコンファームをする。
ファンキー末吉