ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第47号----
2001/09/14 9:30
北京にはもう50回以上来ているが、
いつも行ったり来たりだったのでこんなに長くいるのは初めてである。
もう「住み始めた」と言っても過言ではないだろう。
・・・と言っても家を構えたわけではない。
相変わらず安田んとことか、酔いつぶれた部屋でそのまま寝たりの気ままな毎日である。
嫁の実家は市内からバスで1時間以上かかり、
子供はその実家に預けているが、
嫁はと言えば子供の小学校の入学金5万元(約80万円。高い!)をもらった途端、
何故かすぐ日本に出かけて行った。
俺が苦労して集めた金、本当に小学校に無事納められるのだろうか・・・
こっちにいたらいたで結構仕事が来る。
こちらでは友人Sが音楽プロダクションをやっているので、
そのスタジオにほぼ毎日詰めている毎日である。
またここの賄いのメシが旨い!
お昼時になると、何もないのにここにやって来てメシを食う毎日である。
二日酔いとか徹夜仕事とかで家で寝ているとS社長から電話がかかって来る。
「何やってんの?今日は餃子だよ!」
俺がおらんと寂しいんかい!
ちょっと冷えた残り物の餃子を食ってると、
「じゃあドラム1曲叩いて」
と突然仕事が振られたりする。
このスタジオには爆風のランナー時代のドラムセットがすでに運び込まれていて、
これがなかなか名器なので重宝している。
まあドラムはお手のものなのでいいが、
ある日など台湾のプロデューサーがオーケストラを録っていて、いきなり
「そう言えば打楽器奏者まだブッキングしてないよね」
といきなり民族音楽のパーカッションをやらされる。
わけわからんまま譜面を渡され、
大太鼓やらシンバルやら風鈴やらわけわからん楽器を演奏させられて、
うーむ、これでええんじゃろか・・・
勝手にここのプロトゥールスを立ち上げてEditやら自分の仕事をしてたら、
「ねえねえファンキーさん、この曲ってファンキーさんだったらどんなアレンジする?」
しゃーないのでMIDIでぱぱっと作ってあげたりすると、
「じゃあ今から録ろう」
そのままレコーディングになったりする。
これでええんじゃろか・・・
ある日のこと、二日酔いで寝てたら電話が鳴った。
「何してんの?今日のメシはとっても旨いよ」
俺をメシで釣るな!
それでもまたのこのこ出かけてゆくと
先日のオケにボーカルを入れている。
ここの看板歌手、陳琳(ChenLin)である。
ウィグル族の民謡を俺が本格的なサルサにアレンジして、
手が痛いのにコンガやらボンゴやら数々のパーカッションを自分でダビングした曲だ。
ここに常駐の中国人プロデューサーが歌のディレクションしている。
プロデューサーもアレンジャーもドラマーも常駐し、
フェイウォンなどの作曲家としても知られる中国No1プロデューサーYもよく顔を出しては、
入手したばかりのプロトゥールスのプラグインをインストールして帰ったりする。
こっちは海賊版王国なのでここのプロトゥールスのプラグインの豊富さは
恐らく世界でも群を抜いているだろう。
ここはもうすぐレコード会社も立ち上げると言う話だが、
ひょっとしたら昔のモータウンとかの勢いを感じたりした。
そしたら俺はここのアル・ジャクソンになるんか?
歌入れをよそに自分のことなどやってたら
歌入れ終わるや否やいきなり急かされて車に乗せられる。
「今日は今から中央電視台の生放送に出てもらうからね」
「ちゅ、中央電視台で何すんねん」
「陳琳(ChenLin)のバックでコンガでも叩いてよ」
「コンガ言うたって・・・んなぁいきなりな・・・」
「大丈夫、当てぶり口パクだから。1億2千万人の人が見てるからね。じゃあ頑張って」
「1億2千万人言うたって俺・・・短パンにJazz-yaのTシャツやでぇ」
おまけに裸足にサンダルである。
「あ、それと・・・」
S社長に呼び止められる。
「中央電視台は外国人が出ちゃダメなんで、聞かれても絶対日本人って言わないように!」
んな無茶な・・・
その昔、まだロックが精神音楽だと言われてた頃、
天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムを叩いた時も
「外国人がこんなとこにいるなんてことがバレたら大変なことになるから絶対に口きくな」
と言われていたが、
中国全土に放送するNHKみたいな局に外国人っつうのを隠して放り込まれるんですかぁ・・・
「大丈夫、何か言われたら華僑だって言っとけば」
そう言えば当時と違って今は中国語が喋れるので全然それで通る。
考えて見れば華僑であることを証明する書類などはどこにも存在しないのだ。
アメリカ華僑はアメリカ国籍だし、
当然ながら日本の華僑は日本国籍である。
ちなみに俺の子供たちは国籍は日本人であるが、
パスポートに別に「親は中国人ですよ」と記載されているわけでもなく、
関京京(グアン・ジンジン)や関天天(グアン・テンテン)などの名前は、
言わば勝手に付けた名前であってどこにもその名前を証明するものはない。
末吉覚がファンキーと名乗ったり、
その中国名「方奇(ファンチー)」と名乗っているのとまるで同じである。
中国語を喋っている限り、「俺は華僑だ」と言っても通るのである。
厳しいチェックを受けねばならない中央電視台のセキュリティーチェックを受け、
スタジオに入ると既にリハーサルが始まっていた。
しかし往年の「夜ヒット」や「Mステーション」等と違って何とのんびりとした雰囲気なことか・・・
秒刻みの台本が配られるわけでもなく、
メガホン持ったADが血眼になって仕切っているわけでもない。
なのにいきなり陳琳(ChenLin)の番になると後ろにバックダンサーが現れてラテンダンスを踊る。
立ち位置が厳密に決められているわけでもないので、
俺なんぞはコンガ叩きながらそのダンサーに体当たりされて大変である。
リハーサルが終わり、カメラチェックをするわけでもなく、
楽器の出し入れの段取りをおさらいするわけでもなく、
ほどなく観客が入ってくる。
そして歌手専用の楽屋があるわけでもなく、
その辺でスタッフと一緒に配られた弁当を食べる。
ちなみに弁当も中華料理である。
結構旨い!
生放送が始まっても別にそこにモニターがあるわけでもなく、
突然スタッフに呼ばれていきなりステージに上がり、
わけのわからんまま生出演である。
ダンサーももう見切りを覚えていて俺にぶつかることもなく、
バビりをやっているわけでもなさそうなのに、
パーカッションは適当な位置に配置されてるし、
カメラ絵的にもよさそうな絵面である。
北京のあらゆる道路が自転車と車とがごった返していて、
それでも無秩序の中の秩序があってそれなりに動いている。
赤信号など守る人間はいないが、
代わりに赤信号でも渡れるからいいのである。
中国社会の仕組みを垣間見たような気がした。
ファンキー末吉