ファンキー末吉とその仲間達のひとり言

----第67号----

平成 14/08/31 (土) 6:10

昔から放浪癖があり、
小学生の頃「トムソーヤの冒険」を読んで無人島に行こうと家出した前科もある。
大学を中退して東京に出てきた頃には家はなく、
日雇いの肉体労働をしながら、友達のところを1年間転々としていた。
と言っても当時、東京には友達はひとりしかいなかったので、
その日に飲んで、一生懸命盛り上がって友達を作り、そこに泊まると言う日々だった。
がんがんに飲んで楽しませて友達作らないとその日の宿がないので必死である。
そして飲み代がなくなったらまた日雇いに行く・・・そんな生活が好きだった。

思えばあの時、どうして部屋を借りたのだろう・・・
月に1万4千円の家賃だったが、
まったく日の当たらない五角形の変な部屋だった。
EastWestと言うコンテストに出場して優勝し、
全国大会に出場するためにねむの里まで行って帰ってきたら、
部屋じゅうの木製家具全てにカビが生えてたのを覚えている。

そんな部屋でも何だかいつも人がわいわいいて宴会していて、
カギなんかかけてないから知らない人がマージャンしてたりもした。
日々宴会の毎日でいつも誰かが酔いつぶれていたのだが、
ある朝起きたら半畳ほどの玄関と言うかくつ置き場に誰かがうんこしていた。
数人が酔いつぶれている中、
朝なのに真っ暗な部屋を出てひとり肉体労働に出かける時に発見した。

最初は誰かがつまみにでも持って来た辛子明太子が落ちているのだと思ったのだが、
よくよく見るとやっぱりうんこである。
しかも形状や大きさからしてこれは絶対に人間のやつである。
バイトに遅刻するのを覚悟でじっくり調べて見ると、
そのうんこのとなりにはおしっこの形跡もある。
しかも、うんこが入り口方向、おしっこが部屋の内側方向。
すなわちこれは誰かが部屋の内側を向いてうんこをして、
そしてついでにおしっこをしたのであろう。

しかし不思議である。
部屋の中でいくら酔っ払って、トイレと間違えて玄関でうんこしたとしても、
その状態で身体を反転させて反対向いてやるかなあ・・・
ふつうはうんことおしっこの位置が逆なんちゃうかなあ・・・
部屋の隣が共同トイレで、
そこは隣接する飲み屋のトイレも共同である。
飲み屋の客が酔っ払って間違えて人の玄関でするかなあ・・・
まあそれならその方向に向かってやったとしても納得するが・・・

その後バイトに行って、
午前中こんもりとうんこが出たので犯人は自分ではないと言う確信が持てたが、
その時うちに泊まっていた友人達とはもう付き合いがないので、
結局誰のうんこだったかは今だに謎である。

しかしこうして冷静に考えてみると、
うんこして紙はどうしたんだろう・・・
確かに紙で拭いてそれを捨てた形跡はなかった。
拭かずに寝てたんかぁ?・・・

まあよい、若き日の楽しい思い出である。

かくしてそんな生活も2年ほどで終わりを告げ、
風呂付のアパートに引越し、そしてマンションに引越し、
バンドなんかそんなに金にもならんのに、
なんでこんなバカ高い東京の家賃を払い続けていたのか今だに不思議である。

楽しかった放浪暮らしから1万4千円と言えど城を構えてからは、
少なくとも家賃のために3日は働かねばならない。
肉体労働をしながら、
「今日の酒のために働くのは何とも思わんが、
何であんな部屋のために今日も明日もタダ働きせなアカンのかなあ・・・」
とよく思っていた。

XYZのツアーで新潟に行った時、
二井原のとある知り合いが、
「ニイちゃんのライブ、久しぶりに見に行きたかったんやけど、
情けない話、会社も不景気でローンも厳しく、
小遣い亭主の身では入場料の3500円も払えんのですわ・・・」
悲しい話である。

そんなに「家」って大切かなあ・・・
母がやはり非常に古い人間なので、
高知にマンションを買った時、
「ああこれでやっと死ねるところが出来た」
とつぶやいたが、その実の息子がとんとその感覚がない。
「ミュージシャンは畳の上では死ねん」
と言われ、ステージで畳背負うてドラム叩こうとしている人間である。

そんなこんなでこの一年、
北京、日本と往復しながらなんとか宿無し生活を堪能して来たが、
ここに来て何の間違いか北京に部屋を借りるハメになってしまった。
2LDKで月800元(約1万2千円)。安い!
ついこないだまで大家が住んでいた状態で、家具もそのまま全部ついており、
冷蔵庫にはご丁寧にキャベツとピーマンも入っていた。
もちろんこんな部屋に外国人は住めない法律になっているが、
中国人の友人が何とかうまく借りてくれた。
北京では敷金礼金はナシ。4か月分の家賃を前払いにすればそのまま4ヶ月住める。
とりあえず部屋にわんさか人集めて宴会をして
マーキング(犬が電柱におしっこすんのと同じやね)を終えてからしばらくたった頃、
いきなり大家一家が引っ越して戻って来た。

「いやー今日から家族だからよろしくやりましょう」

何が家族やねんと言う感じだが、
契約の時にはあれだけぶつぶつ言ってた大家がいきなり満面の笑顔である。
「御飯食べる?洗濯物あったら出しときなさいね。洗ったげるから」
いたれりつくせりである。
聞けば転勤でよそに引越したのはいいが会社が不景気のためまた舞い戻ってきたらしい。
どうせ国からあてがってもらったこの部屋を誰かに貸せば副収入
と思ってたところ、戻って来ようにもその4か月分の家賃を払い戻せない。
それで「どうせ半分日本にいる人間だったらこのまま取り込んだ方が得だ」
と思ったのではないか。
こう言う庶民の生活ではヘタしたら月800元あれば家族全員が食っていける。
自炊してたら野菜なんかほとんどタダみたいなもんやしね。
料理学校なんかではキャベツの千切りの練習をするのに、
日本みたいに新聞紙を使ったりせずに本当のキャベツを使ってると言うしね。
つまりこの人たち・・・ワシの家賃だけで食っていけるのである。

それにしても中国人の変わり身は早い。
先日まで鬼の大家だったのが、いきなり「家族」である。
まあこちらも外国人であると言う弱みがあるので強くも出れない。
あげくの果てには光熱費も折半である。
ワシ・・・そんなにこの部屋でおらんのになあ・・・

大学時代下宿していた神戸のご家庭も、
今でも「お父さん、お母さん」と呼ぶ間柄で立派な「家族」である。
それもよかろう・・・
中学生の子供を含む、中国人親子3人との同居が始まった。

子供は音楽をやっていると言うワシに興味津々。
やたら笑顔でなついてくる。
自分の子供もろくに子育て出来んのに人の子供になつかれてもなあ・・・
大家夫妻は飯を作ってくれたり家事一切をやってくれる。
下宿時代を思い出して「お父さん、お母さん」と呼ぼうとしたら、
「めっそうもない。名前を呼び捨てでいいですよ。
あなたの方が年上ですし・・・
私達はあなたのことは大哥(大アニキ)と呼びますから」
なんかえらい肩身が狭いんですけど・・・

それにしてもこの一家・・・全員ワシより年下なんか・・・
ワシ・・・ええ年こいてこんな生活でええんやろか・・・

反省するヒマもなく外で日々酒を飲み、相変わらず友人宅で酔いつぶれたりしていると、
大家の奥さんの方からいきなり電話がかかって来る。
「大哥(大アニキ)・・・どうしたのよ・・・2日も帰って来ずに・・・心配したわ・・・」
ほんとまるで「家族」である。

今日からまたとある音楽祭出演のために広州に行く。
「朝6時に出発しますからね。帰りは明後日ですよ」
一応説明しておく。
そして朝御飯を作って送り出され、
「気をつけてね、洗濯物は出しておきなさいね」
と言われるのである。

自分の家庭でも窮屈で飛び出したのにワシ何やっとんやろ・・・

今度玄関にうんこしといちゃれ!

 

ファンキー末吉


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