ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第74号----
2002/12/12 (木) 6:20
過激派
ワシは北京と東京と高知に家がある。
普段は北京に住み、ツアーの度に日本に帰る。
ツアーなので結局東京にはいなかったりして、
今回なんかは五星旗のツアーのために直接関空から入り、
そしてそのまま関空から北京に戻るので東京には寄らない。
東京の家と言っても、昔住んでたマンションは既に人に貸していて、
当時ドラムの倉庫として借りていたボロアパートに、
そのまま少々の家財道具を運び込んで、まあ寝泊りぐらいは出来るようにしたと言うもの。
通称これを「ドラム部屋」と言う。
しかしアパートとは言うものの、ここで誰かが居住しているわけではないので、
まあ実質「寝泊りが出来る倉庫」程度なものではあるまいか・・・
先日ファンキーコーポレーション社長の綾和也から北京まで国際電話があった。
何でもMailですませるワシらの関係で、
わざわざ高い金出して国際電話などどんな大事かと思ったら、
「俺の部屋の同居人のパソコンがねえ・・・」
と他愛もない話。
聞けば、北京で留学していたと言う赤の他人のフランス人が、
今日本に来て綾社長の家に居候しているらしい。
「よくそんな知らない初対面の人を家に住まわせますねえ」
と社員は言うが、「友達の紹介だから」と言うこの社長、
性格はかなり北京人っぽい。
そのフランス人が北京で買ったパソコンを日本で使う時に、
北京の三叉コンセントを日本用の二又に変換するアダプターが
日本にないので非常に困っているとのことである。
そりゃそうだ。
日本用の二又を北京の三叉コンセントで使うようにするアダプターは、
日本人が外国に行く時の必需品となるので需要はあるが、
その反対となるとなかなか需要がない。
まあ日本ではこのフランス人と、言うならば私ぐらいしか必要ないのである。
「探しても探しても見つからないんで、
これは末吉が今度五星旗のツアーで帰る時に買って来てもらうしかない」
と言うので電話したらしいが、
業務連絡でさえ国際電話したことのない綾社長が、
同居人のパソコンの電源アダプターで国際電話・・・
1円をケチって1000円を損する典型的なタイプである。
ちなみに彼らふたりのコミュニケイションは綾社長の片言の中国語である。
「俺は言葉で苦労したことはないから」
と豪語する綾社長。
やはり相手のフランス人はかなり苦労しながらコミュニケイションを取っているらしい。
その心意気に免じてさっそく寒空の北京の街角でアダプターを探した。
まあ北京では逆にこのテの需要は多いので簡単に見つかったが、
想像するにこのフランス人、
ワシがツアーで日本に帰るまで充電も出来ないのではさぞかし困るであろう・・・
ふと思い立ったのが、週刊アスキーのパソコンレポートで、
ワシが今使っている台湾産のパソコンのレポートをした時、
同じく電源の形で苦労したのを読んで、
「そう言うマルチアダプターを作っている会社の者ですが、
よかったらお使いください」
とアダプターを送ってきてくれた読者がいることである。
「あのアダプター・・・たしかドラム部屋にあったような気がするが・・・」
連絡を受けた綾社長。
さっそくバイクを飛ばしてドラム部屋に・・・
しかしそこで何と、隠れてずーっとドラム部屋を張っていた刑事に捕まって尋問された。
聞けばこのドラム部屋界隈でとある殺人事件が起こったらしく、
近所を聞き込みしていた刑事が、
近所中の人がこの部屋が過激派のアジトだと噂しているのを聞いて、
ご丁寧にずーっと張り込んでいたらしい。
近所の人に言わせれば、
普段人が住んでる様子もなく、
不特定の人間が出入りし、
しかも一番出入りしているのが長髪の怪しげな人間だ。
だからあそこは過激派のアジトに違いない!と言うことである。
ワシのことですか?・・・
過激派ってこんな格好しとるんでしょうか・・・
会ったことないからわかりませんが・・・
五星旗のツアーの最終日には、
高知キャラバンサライでライブレコーディングしようと言う企画がある。
事務所のスタッフに
「じゃあドラム部屋のプロトゥールスも積み込んどいてね」
と指示をする。
機材車を乗り付けてプロトゥールスを取りに行ったスタッフの沼澤、
彼もここで張り込んでいた刑事の尋問を受けることとなる。
刑事さん・・・お勤めまことにご苦労様なんですが・・・それ・・・うーむ・・・
関空に降り立った私はそのまま名古屋に行って、
東京から来た五星旗のメンバーと合流。
名古屋の大学でライブをやった後、大阪の大村亭に直行。
大村はんが結婚しようが相変わらずそこを関西の宿にしているワシらである。
大村嫁の紀子さんは、
20年近く爆風のおっかけをしている双子の片割れである。
妹の元子も実家に帰らずずーっとワシらと一緒に大村亭に泊り込む。
不思議な光景である・・・
ちなみに姉は末吉ファン、妹は中野ファンである。
「ねえねえ、末吉さん。
今度和佐田さんのSOMEDAYのライブに中野さんが出るんよ」
と妹の中野ファン。
思えばその日は爆風が初めて武道館でコンサートをやった、
1985年12月13日金曜日以来初めての13日金曜日である。
爆風ファンはその日を偲んで武道館に集結、
大きなたまねぎの下で何かをやろうと言う計画もあったと聞く。
当のメンバーであるワシでさえそんなことを忘れてしまっていたのだが、
奇しくも和佐田が偶然この日にSOMEDAYでライブをやり、
それに中野をゲストで呼ぼうと言うのだから
爆風ファンの妹は狂喜乱舞と言うわけである。
「それでさあ、末吉さん・・・東京行ったら私らふたりドラム部屋で泊めてもろてもええ?」
新婚主婦の姉も一緒に追っかけかい!
と突っ込みながら、
まあもちろんこれだけ世話になっているので、断る理由など何もない。
二つ返事をしてからふと思い出した・・・
せや、あそこ過激派のアジトやったんや・・・
「あんたらさあ・・・ひとつお願いがあるんやけど・・・
ひょっとしたら怖いおじさんが尋問に来るかも知れんから、
そしたらそのおじさん部屋に上げたげて、
心ゆくまで部屋調べてもろて・・・」
念願の部屋まで上がれた張り込みの刑事さん、
あの部屋見てどう思うやろか・・・
山ほどのドラムセットのケースは爆弾かなんかか・・・
こんなボロアパートやのにちゃんと引かれたADSLはハイテク過激派のアイテムか・・・
ついでにワシの写真でも見せてあげて下さい。
過激派ってこんな顔してますか?・・・
ファンキー末吉