ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第76号----
2003/02/14 (金) 12:18
XYZのレコーディングが始まった。
今回のスタジオは「武蔵関」にあるスタジオである。
ワシの東京でのヤサは「武蔵小山」。
ドラムを置いておくための倉庫として借りていたボロアパートに
まあ最低限人が住めるようにしただけの部屋だが、
この「武蔵関」と「武蔵小山」とでは位置が全然違う。
通常「武蔵」と付くと武蔵野台地、
つまり本来ならば三鷹とか吉祥寺の方にある地名なのだが、
どうもこの「武蔵小山」だけがちょっと位置が違っている。
元「目蒲線」、現在は「目黒線」と名前を変えた東急線に乗り目黒まで出て、
JRに乗り換えて山手線に乗り、高田馬場で乗り換えて西武新宿線。
そこから急行に乗って上石神井で鈍行に乗り換えてひとつ目、
駅からも数分歩くが、ドア・トゥー・ドアでゆうに1時間半かかる。
まあ往復で3時間と言うと都内のサラリーマンの生活からすれば普通であるが、
それにしても1日に通勤で3時間も時間をロスすると言うのも凄い生活である。
幸い音楽の仕事はサラリーマンの時間帯とは違うので、
あの地獄の通勤ラッシュには遭遇せずにすむ。
すごいよねえ・・・あの世界・・・
サラリーマンに脱帽!!!
しかも毎日欠かさずそれを続けてるんやもんなあ・・・
ワシなんぞ続けても1週間なのでまだ楽なもんである。
時間帯もラッシュとは程遠く、
まあだいたいは余裕で椅子に座ることが出来る。
不思議よねえ、昼の電車・・・
「この人は何をやってる人かなあ」
などと、つい向かいに座った人を眺めたりする。
ある時、ふと向かいのお姉ちゃんと目が合った。
ワシなんぞそのまま見つめているほど度胸はないのですぐ目をそらすが、
その瞬間、彼女がちょっと頬を赤らめてきゅっと足を閉じるのを見逃さなかった。
見ればちょっと短いそのスカートからは色っぽい網タイツの足がすらっと伸びていて、
それをぎゅっと閉じて一生懸命スカートの中が見られないようにしている。
「ワシはお前のスカートの中を凝視しているスケベオヤジか!」
また視線を彼女に戻すと、また目が合う。
「ほら、また私のスカートの中を覗いてたでしょ」
とばかり目をそらして更に足をぎゅっと閉じる。
「違う違う!ワシはあんたのスカートなんか覗いてない!」
ワシはちょっとびっくりして他の乗客に眼をやる。
別に何も意識せずただ座っている乗客ばかりなのだが、
ワシにはもう全員がワシを痴漢よばわりしているようにしか見えない。
このまままた彼女の方を見ればまたスカートを覗いているみたいなので
わざとそちらを見ないように見ないようにすればするほど、
お互いを強く意識してしまい、またちらっと目が合ってしまう。
そしたら彼女はまたぎゅっと足をそぼめてスカートの中を覗かれないように・・・
「ほなそんなスカート履いて来るな!!!!」
ワシは居たたまれなくなって次の駅で降りてしまい、
おかげでレコーディング開始時間に遅刻をしてしまった。
初日のレコーディングは、全ての楽曲のテンポ決めと、
クリックに合わせてみんなで軽く演奏し、ガイドオケを録ってしまう。
翌日はひとりでスタジオに入ってそのガイドオケに合わせてドラムを録音する。
今回のアルバムはプロデューサーにBOWWOWの山本恭司さんを迎え、
恭司さんの「ゴリゴリのロックアルバムにしようよ」と言う意見を受け、
最終的に選んだほとんどの曲がゴリゴリのロックである。
例によって死ぬほど速いツーバスの曲も数曲あり、
「こりゃ生きるか死ぬかやな」と言うもの以外をひとりで9曲無事に録り終える。
翌日恭司さんに聞いてもらい、OKが出ればそのまま残り3曲を録っておしまい!
「こりゃいつになく順調じゃ、早めに日本を後に出来るなぁ」
と思ったら恭司さんから全部ダメが出た。
ちょっとしたフィルインの部分とか、言うことが細かい細かい!
「ま、いいですよ。ほな最初っから叩きますか?」
もう1日かければ9曲叩けるわけだから軽くそう言うと、
「いやいや、その部分だけ差し替えればそれでいいから・・・」
今日びのレコーディング技術は凄まじく進んでいる。
昔はドラムは録り直しが出来ないので、
ワシなんぞ一度叩き始めたら絶対に間違わないことが必須だった。
また、ドラムが録り終えなければ次の作業に行けないので、
バンドのためにワシはいつも80%ぐらいに手数を減らし、
無謀なフィルはやらずに絶対に叩けるものばかりで構成した。
今となってはおかげでその「絶対叩けるフィル」が非常に向上して今に至る・・・
思い起こせばもう10年以上も前、
二井原がまだラウドネスに在籍していた頃、
かまやつひろしさんのスパイダーストリビュートアルバムのアレンジの仕事で、
当時飲み友達だった二井原をコーラスで呼んだことがあった。
曲は「赤いドレスの女の子」、ベースは聖飢魔?のゼノン石川、
ギターはパッパラー河合だったか・・・
ハードロックアレンジでばしばし二井原のシャウトでコーラスを入れたのだが、
その時のリズム録りで、同じ位置の同じフィルインで数回つまづいて、
最初から数度やり直したと言うことがあった。
レコーディング終わって二井原と飲んでたら、
「ファンキーもプロやから敢えて言わんかったけどな・・・」
二井原が悪そうに口を開く。
「何であそこだけパンチインせんかったん?」
それを聞いてワシ、
「ドラムってパンチイン出来るん?!!!」
二井原大笑い、
「いつの時代やと思てんねん。デジタルの時代やで」
まあおかげでパンチインに頼らずちゃんと叩けるドラマーになったわけだが、
それにしても今では時代はもっと進み、
極端な話、1コーラス叩けば後はつぎはぎでどうにでも出来る。
もっと極端な話、1小節叩いて、いくつかフィルインを作っておけばそれで大丈夫。
しかしそうなると果たしてそれが「俺がドラムを叩いた」と言うことになるのか・・・
なるだけパンチインせずに最初から最後まで叩くように今でも努めているワシである。
さて、とは言え、こうしてバンドのメンバー不在のままドラムだけを録音すると言う、
昔からしたら非常に不思議な光景の中で、
こうして翌日プロデューサーから言われ、
改めて数箇所直しましょうっつうのが凄い!
時代は変わるものである。
しかしいくら時代は変わっても、
ドラムを肉体で叩くと言うことは変わらない。
4beat等の速いパッセージと違い、
2バスを踏むと言うことは、足を交互に出して走るのと同じ作業で、
これはもう音楽と言うよりはスポーツに近い。
43歳でこの全力疾走をするワシを見て、人はみな涙すると言う・・・(橘高談)・・・
43歳でJazzドラム完璧に叩けても誰も褒めてくれんのにねぇ・・・
さてそんな老人オリンピックのようなレコーディングなのだが、
無事に9曲全てOKが出て、
残すはその全力疾走モノである。
今の技術ではゆっくりのテンポで録音して、それを速く加工することも出来るが、
それでは音楽でも何でもない。
叩けるか叩けないか、生きるか死ぬかで戦っている姿こそこれ、音楽である。
スポーツと音楽はある意味似てるのかも知れない。
精神状態によって叩けるはずのものが叩けなかったり、
またその逆だったりよくする。
昔一度こんなことがあった。
「Labyrinth」をライブで叩く時、
当然心拍数の関係でレコードより更にテンポが速くなっているのだが、
あるステージでバスドラが踏み切れなくなって崩壊し、
そしたら不思議なものでそれより遅い「Never say die」も叩けなくなった。
それから2バスが怖くなってしばらく全ての曲が叩けなくなった。
リハビリは肉体のものだけではない、
長い時間をかけて、心の中のその恐怖心を克服してゆく。
ワシの場合は、「これが叩けなかったらもう現役を引退する」
つまり音楽人生として生きるか死ぬかで叩くのである。
「叩けないなら死になさい!死にたくなかったら叩きなさい!」
頭の中にはさぞかし上等の脳内麻薬が出ていて、
それが怖さとか辛さとかを麻痺させてゆき、
体温が上昇し、筋肉が自分の能力以上に動く状態になってようやく叩けるようになる。
ライブの場合はそれが客の歓声であったり、
「やるぞー」と言う自分の気合であったり、
まあまあなかなか持っていきやすいところはあるが、
レコーディングだと辛いことはいくらでも後回しに出来るので
これまたいっこうにアドレナリンが出ない。
そんな時には無理やり自分をドラムセットに追いやり、
「これを叩けなかった時には潔く死のう!」
と言うまで気持ちを持ってゆく。
もちろんステージとは違いいきなりフルスロットルまでは持って行けないので、
数回やってみつつ徐々にテンションを上げてゆく。
そんな時に二井原がスタジオに遊びに来た。
「どんなあんばいでっか?」
ワシを慰問に来たありがたいバンド仲間ではあるが、
いかんせん友人だろうと誰だろうとそんなワシを助けることは出来ん。
自分自身で戦うのみである。
スタジオには不思議なもんでグラビア雑誌がよく置いてある。
男の世界なのでグラビアアイドルなどを眺めて自分をはげますのか・・・
エンジニアの崎本さんなんぞ、若い衆に「仲根かずみ」のDVDを買いに行かせて、
それを見ながら煮詰まりを解消する。
二井原は例によってグラビアである。
「おいおい、ファンキー!!ちょっと見てみぃ!
このおっぱい、ないなあ、これ・・・」
ドラムのための精神集中もあったもんではない。
まさに禅修業のようにそんな雑音をシャットアウト、
煩悩を捨てて戦いへと身を置くのじゃ。
「ファンキー、これないでぇ!韓国人はこれやから凄いなぁ」
煩悩の塊、二井原がまた叫ぶ。
こいつは唄入れの前にこう言うシャウトで声を潰す大アホである。
「韓国人?」
アジア文化お宅のワシはついついグラビアを見てしまう。
インリンとか言う女の子が過激なヌードを披露している。
「儒教の国、韓国から来てこれやってたら大変やろうなあ・・・」
そう思ってふとプロフィールを見たら台湾出身と書いてある。
中国人かぁ!!!
時代は変わった・・・
中国女性の伝統も今や日本人女性の貞操観念のように落ちてしまったのか・・・
嘆くよりも先にもっとグラビアに食い入るように見てしまうワシ・・・
ワシって中国フェチなのよね・・・
昔Jazz-yaの安田と中国でテレビを見ていて、
台湾のアイドルが喋ってんのを見て「可愛いなあ、こいつ・・・」と言うワシに
「どこがいいんですか、
日本でもこの程度なのはどこにでもいるじゃないですか・・・」
と安田。
そう言えばそうかなと思いながら一生懸命考える・・・
「だって中国語喋ってるんやもん・・・」
そう、ワシはこの可愛い物体が
わけのわからん中国語を喋ってんのがどうしようもなくいいのよ。
韓国人だと思ってたグラビアの裸身がワシに中国語で喋りかけて来る・・・
ワシは妄想の中で彼女の悩みを聞いてあげて、
彼女をこの世界から救い出してあげるヒーローになってしまっている。
ああ、これは運命なのじゃ。
こうしてワシらは日本を捨てて逃避行をするのじゃ・・・
「末吉さん、末吉さん・・・」
エンジニアに呼び止められて我に帰る。
「録らないんですか?」
いやいや、叩きますがな。死ぬか生きるかのね・・・
叩けん・・・
妄想が・・・彼女の裸が・・・中国語が・・・
予定より1日遅れてやっと全曲叩き終わりました。
もう日本を後にします。
ファンキー末吉