ファンキー末吉とその仲間達のひとり言
----第99号----
2004/06/05 (土) 6:02
まぐまぐからお知らせメールが来た。
「あなたのメールマガジンはもう3ヶ月発刊なさってません。どうなさったのですか?」
えらい親切なメルマガ発刊サイトである。
そうかぁ・・・そんなになるのかぁ・・・
思えば非常に忙しかった。
死ぬほど忙しかったと言えよう。
それもひとえに零点(ゼロ・ポイント)のプロデュースのせいである。
(関連ネタ)https://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/90.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html
今年中にいろんな企画をやるから、お前は全部で35曲年末までにアレンジせい!
と言われているので、ヒマを見ては・・・と言うより、
もうかれこれ数ヶ月間毎日常にそれをやっている。
メンバーにもごたごたがあり、ギターとキーボードが脱退したが、
なんか影ではほとぼりが冷めたら復活とかナンだかわけがわからない。
ある日なんぞ、なんか「音楽賞の授賞式があるからお前も来い」と言われ、
ベストプロデューサー賞かなんかでも頂けるのかと思っていそいそついて行ったら、
何のことはない、いきなり授賞式でのライブであてぶりでキーボードをやらされる。
もちろんノーギャラである。
ま、いいのよ。あてぶりだし、自分のアレンジした曲だからだいたい覚えてるし・・・
ノーギャラでも飲み食い豪勢なの奢ってもらえるし・・・
でもそんなアホやってるからますます忙しいのよね・・・
XYZのツアーで来日し、また北京に戻った時、いろんな業界人からこう言われてびっくりした。
「ファンキー、お前はついに零点(ゼロ・ポイント)のキーボードになったのね」
なんじゃそりゃ?と思ったら、その授賞式の模様は全国に放映され、
新聞、ニュース、ネット記事の全てで
「零点(ゼロ・ポイント)の新しいキーボードは日本人!!!」
と報道されているではないか・・・
キーボードなんか弾けへん!っつうねん!
北京に戻るや否や、
「ファンキー、すぐ新曲をレコーディングするぞ!」
メンバー脱退の痛手を払拭するために新メンバーでの新曲をすぐにでも発表せねばならん。
「新メンバーって・・・誰?・・・」
まあキーボードは弾くことは出来んが、MIDIで打ち込むならなんとかなるなあ・・・
ギターはスタジオミュージシャンでも指すかぁ・・・
とかいろいろ考えつつ、実のところ結局は
当分の間は新メンバーではなくサポートメンバーなので誰でもいいのよね。
寝ずにアレンジを1曲仕上げ、翌日にリハーサル。
そこで更にアレンジを固めて、翌々日にレコーディングと言う予定が、
当日のリハーサルでメンバーから新たな新曲が提出され、
「やっぱこの曲でいこう」
と言うことになる。
・・・ワシの夕べの徹夜はどうなんの?・・・
リハ終了後、すぐさままたその曲のアレンジに突入し、
スケジュールはその分確実に後ろ倒しとなる。
しかしワシは次の日から日本の某企業CMソングのレコーディングが入っており、
それは日本からその企業の部長さんまで北京にやって来てレコーディングするので、
中国と違っておいそれとスケジュールを動かすわけにもいかん。
「すまん!ワシ・・・明日から別のレコーディングなんで・・・」
と言っても聞き入れてくれる相手ではない。
「ワシらの命運をかけたシングルと他の仕事とどっちが大切じゃい!」
と一喝されるのかと思いきや、
「いいよ、いいよ。それ何時に終わるの?それ終わったら夜中にレコーディングしよう」
と来る。
昼間ワシ自身がドラムを叩いて、
そのセッティングのまま零点(ゼロ・ポイント)のドラマーが叩けば
レコーディングもスムーズだと言うわけである。
ほなワシ・・・いつ寝るの?・・・
かくしてその日本企業のCMソングのレコーディングと
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングは平行して続く。
その日本企業のCMソングは、
その日本人なら誰しも聞いたことのあると言う有名な曲であるが、
その企業の部長さんが女子十二楽坊の大ファンであると言うことと、
女子十二楽坊は日本の一種のトレンディーな流行ではないかと言うことから、
その会社がわざわざ直接女子十二楽坊に依頼をしたところ、
当然のごとく目の玉が飛び出るぐらい高い値段だったそうで私に依頼が来た。
「ファンキーさん、すみませんが女子十二楽坊風にアレンジして下さいな」
と言うもの。
・・・ワシって一体・・・
中国民族楽器オーケストラのアレンジは非常に難しいので、
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが終了した朝方からも譜面を書く。
ぎりぎりで間に合って昼過ぎにスタジオに入って、
用意していた女子四楽坊とも言うべき綺麗どころの女子民族楽団に演奏してもらう。
綺麗どころでも用意してないとやってられないところなのでせめてもの憩いだが、
残念ながらブッキングされた笛だけは男性であった。
CMソングは全部で5バージョン、
同じ曲を全部違うアレンジでレコーディングせねばならない。
正味5曲分違う曲をまるまるレコーディングするのと同じ仕事である。
修羅場のようなレコーディングを、綺麗どころと共にまる一日、
天国なのか地獄なのかようわからん状態でスタジオに缶詰になる。
夜の9時になると零点(ゼロ・ポイント)のメンバーがスタジオに現れる。
これが終わればすぐさまベースとギターを録ろうと言うのである。
こちらのレコーディングでは待たされるのも日常茶飯事だが、
その代わり待たすことも「よし」とされるので、
こちらが終わるまでみんな気長に待ってくれるが、
気ぃ使いの日本人としてはどうも気が気ではなく胃が痛い思いをする。
11時頃やっと民族楽器を録り終えてほっと一息つくヒマもなく
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが始まる。
終われば朝なのだが、また朝から今度はそのCMソングのTDである。
都合のいいことにメンバー同士が意見の対立でもめ、
ギターは録らずにベースだけで早めに終え、その日は少しは寝ることが出来た。
そのTDさえ終われば少しは時間に余裕が出来るはずである。
思えば本当ならその日にWINGが北京でのライブのためにやって来て、
ワシが例によってバックでドラムを叩かねばならないはずであったのが、
スケジュールがドタキャンで後ろにずれ込んだ。
これがあったら確実に死んでいただろう。
ドタキャン万歳!!
TDが終わって飲みに行く。
翌日からついに開放されるかぁ!!!!と思いきや、そんなはずはない。
朝方、零点(ゼロ・ポイント)から電話が入って来て、
「今日じゅうにギター録るぞ!ギタリストをブッキングしろ」
ワシがするんかいな。お前ら自分でするんとちゃうのん?
「バンドが言うとヤツら絶対ウンとは言わんから、お前が仕事として発注しろ」
ま、いろいろあるのね。
朝っぱらから電話番号調べて、一番売れているロックギタリストをブッキング。
そうして次の日もスケジュールは埋まるのだが、
「これが終われば開放される」
を馬の頭にぶら下がったニンジンにして何とか頑張れる。
ギター録りが終ると、すぐさま歌入れが開始される。
それが終われば、次の日とその次の日のうちにTDを終わらせればよい。
スケジュールについに白いところが出来るわけである。
「あのう・・・ワシ・・・歌入れにおってもしゃーないから先に帰ってもええやろか・・・」
歌入れをぶっちしてついに夜寝れる生活である。
「やったー!!!!」
とばかり帰宅に着こうとすると、「ちょっとファンキー」と呼び止められる。イヤな予感・・・
「明日天津でまた授賞式があるから・・・」
ワシは行かんぞ!行かんですむもんならワシは絶対に行かん!
どうせあてぶりでまたアホ面さげてキーボードを弾いてるぐらいならワシは少しでも寝る!
あまりに可哀想と思ったのか、さすがに
「じゃあ行くか行かないかは明日また連絡するよ。今日はゆっくり寝なよ」
と言う零点(ゼロ・ポイント)。
かくしてやっとゆっくり眠れると思ったら朝方電話で起こされる。
「喜べ!お前は天津に来なくていい」
そんなことで朝から電話かけてくんなと思ったら、
「バンドみんなで聞いたらやはりドラムから録りなおそうと言うことになった。
お前はスタジオ押さえて、先にドラムをセッティングして、ワシらの帰りを待て!」
ドラムを録り直すっつうことはそれに合わせてベースもギターも全部録り直すってこと?・・・
かくしてワシの寝れない日々は続く・・・
しかしよく考えたら数日後にはJazz-yaリニュアルオープンで、
日本からあの、憂歌団の木村はんが北京にやって来るのじゃ・・・
おりしもJazz-yaがオープンしてこの日で9周年。
そして大々的にリニュアルしたJazz-yaで木村さんを呼んで二日間ライブを行おうと言うもの。
譜面もまだ書いてまへんがな・・・
いつ譜面を書くんやろ・・・と思いつつ、刻一刻とライブは迫る。
「天津から帰れんようになったのでドラム録り今日は中止!」
電話がかかってくるが、こうなればその日にスケジュールが空くのが嬉しいと言うより、
スケジュールがもっとずれこんでライブと同じ日になる方が恐ろしい・・・
「ファンキー、明日はまた一緒に天津に行ってもらう」
必要じゃないものは絶対にやらん!と行って置いたにもかかわらず、
「絶対に必要だ!」
と言われるので一緒に着いて行けば、そこは盛大なサッカーの開幕式である。
そう言えばそのテーマソングを去年アレンジしたなあ・・・
オープニングであてぶりのパーカッションで彼らと一緒にそのテーマソングを演奏する。
「原曲にパーカッションなんか入ってまへんがな!!!」
何故か脱退したはずのメンバーも一緒に演奏している。
ええのん?脱退したんとちゃうのん?と聞くと、
「サッカーを愛してるからいいんだ」
と言う理由だそうだ・・・
そしてワシは何故かそこで原曲にも入ってないパーカッションを叩く・・・なんで?・・・
この最大の晴れ舞台でワシへのせめてものお礼と言うことか・・・
でもワシ・・・そんなヒマないんですけど・・・
終了後すぐにまた車に乗せられ、北京に戻る。
と思いきや、テレビ局の連れていかれて何か歌番組の収録。
着くやいなやいきなりギターを渡され、すぐに本番収録。
ギター・・・ですかぁ?・・・
昼間のサッカースタジアムと同じ曲だが、
同じあてぶりでも、原曲に入ってないパーカッションと違って、
ギターと言えば曲を完璧に知らな指が合わんやないの・・・
「キーは何なのキーは?」
せめてリフのあてぶりぐらいはポジションぐらいあっておきたい。
ベースのヤツに聞くが、「俺も忘れた・・・」とのこと。
ワシ・・・一体どうすればいいの・・・
サビのメロディーを一生懸命思い出し、ボーカルのキーと照らし合わせ、
大体このキーだろうと言うポジションでいきなり本番が始まる。
ワシがギターを持つ姿なんぞ思いっきりブサイクである。
橘高を想像して何とか頭を振ってごまかそうとする。
でもやっぱブサイクはブサイクやろうなあ・・・
だが問題はギターソロである。
どんなソロだったかは自分がディレクションしてるからだいたい覚えているが、
それをあてぶりとは言え弾きマネなんぞ出来るはずがない。
いきなりブルースギタリストごとく、恍惚の表情で、せめて顔で表現しようとする。
願わくばカメラは指先のアップではなく顔をアップにしてくれることを祈って・・・
何がなんだかわからないまま本番が終わる。
こちらでは売れてるバンドはカメリハもサウンドチェックもないのである。
「ほなさいなら」
みんな三々五々解散する。
あてぶりも基本的にノーギャラらしいが、
せめてものお車代を渡すスタッフが笑いながらワシにこう言った。
「ファンキーも、ギターっつう顔じゃないわのう・・・」
情けない話である。
これがまた全国放送され、それを見た数億人の中国人は、
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストはこんなアホ面だと思うのであろう。
そんな中、木村さんがついに北京に到着した。
譜面は結局まだ半分しか出来上がっていない。
とりあえずは食事と酒にご招待する。
朝から晩までぐでんぐでんに酔っ払ってらっしゃる人だと思ってたら意外と
「ぼ、僕はそんな人が思ってるほど強いわけじゃおまへんのや」
と言うのでびっくりしていたら、
その日に焼酎のボトルが既に数本空いてしまったらしい。
マネージャー曰く、
「この人は暇やったらパチンコばっかしてまっからなあ」
と言うのを受けて、
「あ、メニューに”パチンコ”入れるん忘れた!!!」
と口走ってしまったらすかさず木村はん、
「あの曲は今は歌えまへんのや。昔のパチンコへの情熱と今とは違って来てしもたんで」
そうかぁ・・・あの偉大な名曲にもいろんな歴史があるんやなあ・・・
そんなことも言うとれん!家帰って譜面書かなアカンのや!
失礼して中座させてもらう。徹夜で譜面書きである。
電話が鳴る。零点(ゼロ・ポイント)のメンバーである。
「ファンキー、TDのスケジュールは決まったか?」
仕方がないのでライブ当日の同じ日に平行してTDである。
リハと本番の間に抜けてスタジオに行き、また本番が終わってからスタジオに駆けつける。
んなことやってたら死ぬわ!・・・
もうかれこれ2週間ろくに寝ていない。
それでもステージには穴は空けられない。
ましてはワシにとっては木村はんとは夢の競演である。
ステージ上、モニターから聞こえる木村はんの歌声が心に染みる。
ステージももう後半、
こちらで用意した北京のJazzミュージシャンがムーディーなイントロを奏で・・・
「シカゴに来て〜2年がたった〜だけどいいことありゃしねえ〜」
ブラシをこすりながらこの瞬間にいきなり涙がどどっと出て来た。
木村はんから頂いたリストには入ってなかったが、
ワシからリクエストしてたっての願いで今回演奏リストに入れてもらった曲である。
続けて歌から始まる
「嫌んなったぁ〜もうダメさぁ〜」
でもうノックアウト。
「ワシ・・・何をやっとんのやろ・・・」
徹夜して譜面書くのも音楽である。
スタジオブッキングしてバンドをプロデュースするのも音楽である。
企業のCMソングを一生懸命アレンジするのも音楽である。
でも木村はんは・・・この”天使のダミ声”は、ずーっと違うところで生きて来た。
「俺はこう生きて来たんやし、これからもずーっとこう生きてゆくでぇ・・・
文句ありまっか?・・・いやーすんまへんなあ・・・そう言うこって!すんまへん!」
そう言いたいのか言いたくないのか、笑ってんのか泣いてんのか、
本気なんだか冗談なんだか、悲しいのか楽しいのか、そんな彼の音楽の、
いや人生の全てが歌にある。
天才や!
招待した北京の音楽友達、演奏しているJazzミュージシャン、
そして75人しか入れない限定の客全員がこの天使のダミ声に舌を巻いた。
終わってから無性に酒が飲みたくなった。
スタジオでは零点(ゼロ・ポイント)がワシの到着を待っている。
が、しかしワシは酒を飲む。
途中抜け出してスタジオに行き、スタジオのロビーでもまた酒を飲む。
一段落ついて戻って来てまた酒を飲む。
見るもの聞くもの全てが輝いて見える。
雲南省から帰って来た飲み友達のMeilingまでもがやたら美人に見える。
翌日になると全ては夢と消えるのかも知れないが、
今日だけはこの全ての輝きを身体いっぱいで味わって置きたい・・・
前日一睡もしてないのでその日はいきなり電池が切れるように潰れたらしい。
朝方になって胃痛でうなされている自分がいる。
「飲み過ぎじゃ!あのトラックと、このトラックをUndoすれば直るはずじゃ!」
目の前にはプロトゥールスの画面が現れて、
エンジニアに一生懸命胃痛の原因となったトラック(なんじゃそりゃ!)
をUndoして消去するように中国語で指示している。
目が覚めてアホかと思いならが便所で吐く。
高校生かい!
そう言えばワシは高校のときに初めて憂歌団を見て、
「大学行かずに大阪行ってブルースやるんや!」
と言って担任の先生を困らせたなあ・・・
翌日、そんなワシの幼き頃のアイドルは、昼間から万里の長城で観光。
ワシはと言えばまた別のレコーディングに呼ばれてドラムを叩く。
「まだこの上、別の仕事をするかい!」
しゃーないのである。音楽商売も言わば水商売。
全然仕事がない時もあればある時にはいろんな仕事がいっぺんに来る。
これで死んでも仕方がない。自分で選んだ道なのである。
思えばRockもJazzも、全ての音楽のルーツはブルースにある。
それにちょびっとリズムがついたのをおしゃれに「リズム&ブルース」と言う。
それを白人がやったら「ロック」と言われた。
黒人に言わせたら
「ど、ど、どんなんでもええねん。自分らしかったらそれでええねん(木村はん風)」
っつう状態を彼らはスラングで「ファンキーである」と言うらしい。
「お○○のスエた(ベタな関西弁やあ)ような匂い」を表すスラングでもあると言う。
だからワシはファンキー末吉と名乗ったのよ。
まあワシにはワシのブルースがあるわいな!!お○○スエててすんまへん!
ふぁんきーお○○スエ吉